すみなすものは

映画、文学、人文情報学(デジタルヒューマニティーズ)についての話題あれこれ。時には日経平均ウォッチャーとしての雑感も。

人間釈尊

金岡秀友先生の『空海 即身成仏義』を読み進むうちに次の一節に出会い、小膝を打ちました。以下、引用です。

釈尊の行実をふりかえってみよう。

あらためていうまでもなく、釈尊は「人の子」であった。八万四千の法門のどこにも、釈尊は「神の子」で、母なる人が処女のまま身ごもったなどとは書かれていない。中インド、マガダ国の北隣り、カピラ国王のシュドーダナ(浄飯)と母マーヤー(摩耶夫人)の子で、幼名をシッダールタ(悉達多=成就)、姓をガウタマ(瞿曇=無上牛)といった。長じて美姫ヤショーダラー(耶輸陀羅)を娶り、一子ラーフラをもうけ、二十九歳で城を出て修行者となり、三十五歳で大悟成道し、以後、城の家族へもどることなく、一生を遍歴の求道者・救済者として説法の旅ですごし、八十歳で、マッラ(未羅)国、クシナガラ(拘那掲羅)のサーラ樹の下で、なすべきことすべてをなし終え、心静かに入寂したひとであった。偉大なひとであり、仏ではあったが神でも神の子でもない。

人が仏に成る。これを「成仏」という。仏は、自身の知恵において悩みなく(見道所断)、行為において迷いなく(修道所断)、自分の修行にはげむだけでなく、他者の救いにもつとめる(自行化他)人である。(p28-29)

ここに全て書いてある、と言い切っても良いようなまとめ方ですね。伝記のエッセンスであり、略年譜でもある。

今後、釈尊の生涯について考えるときには、この一節を原点にしたいと思います。