すみなすものは

映画、文学、人文情報学(デジタルヒューマニティーズ)についての話題あれこれ。時には日経平均ウォッチャーとしての雑感も。

大正12年

演習の準備で、大正12年前後に書かれた小説2編を取り急ぎ読みました。

芥川龍之介の『藪の中』と、梶井基次郎の『奎吉』。

『藪の中』は、人間の欲望、生への執着などの交錯を、登場人物による語りの形を採って表現しており、そこで展開される心理描写が興味深い。

『奎吉』は、主人公の表情と内面がつぶさに描写されていてリアリティーを感じさせる作品です。梶井の処女作といわれる(こともある)割には、あまり知られてない作品なので、下に梗概を載せましょう。

『藪の中』は有名な作品だから、その必要はありませんね。この機会に、黒澤明監督による『藪の中』からのアダプテーション羅生門」を観たのですが、自然光を感じさせるモノクロームの画像や、三船敏郎の時にコミカルな演技、とても新鮮に感じました。

大正、昭和の文化、ノスタルジックで興味が尽きません。1970年の大阪万博以外は(笑)。

 

(『奎吉』の梗概)奎吉は、彼の父の外妾の子であり弟である莊之助から金を借りることを思いつく。両親から金を持つことを禁じられ、手元に一銭もなかったからである。そのとき、「變な感じを經驗」した。「何だかそこに第二の奎吉といふものがあつて本來の奎吉には何の申譯けもせずにそれをやり通す、そして本當の奎吉は傍からそれを眺めてゐるといふ樣な想像がふと起つたのである」という。それでも、「お前の貯金から少し金を出して來て呉れ」と告げ、利息についても触れながら口止めをする。莊之助は、「何も餘計にして返して貰はうとは思はないけど、確かに返してくれるのだつたら……」と答える。莊之助が出て行ってから、堪らない場面をやり過したと感じた奎吉は、舌を出した。そして、「やつた、やつた」と小声で言いながら踊るような仕草をした。その上に、「うー」と云ひながら顔を思ひ切ってしかめた。顔の筋肉の収縮の感覚に快感があるかのように。